とと姉ちゃん|石井好子は中田綾のモデルではない!大橋鎭子との関係

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、阿部純子さん演じる中田綾が登場しました。

 

そして他の記事にも書きましたが、綾のモデルとなっているのは

大橋鎭子の第六高等女学校時代からの親友の中野家子(旧姓神田)です。

 

家子は後に鎭子が刊行する「暮らしの手帖」の創刊時からのメンバーとして、

支えていくことになります。

 

ところでインターネット上には、中田綾のモデルを石井好子とするものも

ありますが、これは明らかな誤りです。

 

石井好子は日本のシャンソン歌手の草分けとして知られる存在で、

「料理の鉄人」などのテレビ番組にも出演していた知名度の高い人物ですが、

綾のモデルではありません。

 

大橋静子との関係も含めて説明していきます。

 

石井好子は中田綾のモデルではない! 大橋鎭子との関係

 

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石井好子

(1922年8月4日~2010年7月17日)

 

石井好子1

 

石井好子は、大橋鎭子の第六高等女学校の2歳下の後輩(学年は3つ下)

にあたる人物です。

 

と言っても在学中にはふたりはほとんど面識はなく

先輩後輩の間柄ゆえの挨拶をする程度の関係でした。

 

好子の父親は衆議院議長を務めた石井光二郎で、

裕福な家庭に育ったことから、当時の女性としては珍しく、

第六高女卒業後に東京芸術大学に進学して声楽を学びます。

 

昭和17年(1942年)に同大を卒業すると、白百合高等女学校の

音楽教師となります。

 

翌年に実業家の日向利兵衛の息子の正三と結婚し、

終戦後は正三がオーナーのジャズバンドの

ニューパシフィック・オーケストラの専属歌手として活動します。

 

ちなみにこのバンドのリーダーは、歌手の森山良子さんの父親の森山久でした。

 

しかし昭和23年(1948年)に好子は正三と離婚しますが、この後に大橋鎭子から

「暮らしの手帖」を手伝ってほしいと誘われることになります。

 

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どうやら好子は鎭子のパートナーの編集者・花森安治と面識があったようで、

そのツテで鎭子が誘ったようです。

 

当時はまだまだ女性だけで生きていくのは困難だった時代ですので、

好子が離婚したのを鎭子が心配したようでした。

 

しかし既に音楽で身を立てていくことを決意していた好子は

鎭子の誘いを断って、昭和25年(1950年)にアメリカに留学します。

 

アメリカ時代にはジャズの大御所として知られるルイ・アームストロングや

「黒いビーナス」と言われたジョセフィン・ベーカーとも共演を果たしていますから、

好子の実力は相当高かったことが窺えますね。

 

さらに翌年には本格的にシャンソンを学ぶために渡仏し、

フランスでシャンソン歌手としてデビューも果たします。

 

好子は昭和30年(1955年)に帰国した後は活動の拠点を日本に移し、

昭和33年から4年連続でNHKの紅白歌合戦にも出場しています。

 

そして昭和36年(1961年)に石井音楽事務所を設立してからはマネージメントに回り、

岸洋子さんや加藤登紀子さんといった人気歌手も育てます。

 

またそれと並行して、エッセイストとしても活躍し、

鎭子の「暮らしの手帖」にもたびたび寄稿することになります。

 

前記のように好子はいったんは鎭子との仕事を断りますが、

後に執筆者と編集者として共同作業をおこなうことになるのです。

 

ちなみに好子のベストセラーとして知られるエッセイ

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」は、もともとは

「暮らしの手帖」に掲載されたエッセイをまとめたものです。

 

※石井好子のこの書籍は戦後の食に関するエッセイの金字塔として知られ、

現在でも売れ続けています

 

さらに好子は美食家としても知られており、晩年には人気番組

料理の鉄人」の審査員も務めました。

 

このように石井好子と大橋鎭子は後にパートナーとして仕事をともにしますが、

ドラマの中田綾は常子の「あなたの暮らし」の共同作業者として活躍するので、

綾のモデルは好子ではなく中野家子というわけです。

 

非常にマルチな活躍をした石井好子ですが、ドラマの常子のモデルの大橋鎭子とは

少なからずの縁もあることから、ドラマに登場する可能性もありますね~

 

キャストなども含めて非常に楽しみです!!

 

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