とと姉ちゃん|中田綾と常子の今後はどうなる?大橋鎭子と中野家子は?

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、阿部純子さん演じる中田綾

登場しました。

 

綾は成績優秀であるだけではなく、その凛々しい容姿もあって後輩からも

憧れの的になっている女学生です。

 

けっこうクールな一面もありそうな綾ですが、常子が頼み込んだおかげで

ふたりは勉強会をすることになります。

 

この後も何かと関わりを持ちそうなふたりですが、今後の関係は

どうなっていくのでしょうか?

 

常子のモデルとなっている大橋鎭子と、綾のモデルとなっている

中野家子の関係をひも解いてみます。

 

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中田綾と常子の今後はどうなる? 大橋鎭子と中野家子は?

 

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大橋鎭子と中野家子は、第六高等女学校(現都立三田高校)の同級生でした。

 

三田高校

(現在の都立三田高校)

 

家子の中野姓は結婚後の苗字なので、出会った当時は神田家子でした。

 

ドラマでは浜松から転校してきた常子は、当初東京の女学校の同級生に

バカにされたり、いじめを受けるような描写もありました。

 

しかし鎭子は第六高女では楽しい思い出しかなかったと語っていますし、

多くの友達に囲まれる人気者だったことから、このあたりの描写は

ドラマオリジナルのフィクションですね。

 

そして鎭子の友達の中でも、家子は親友といえる存在で、

生涯にわたって付き合うことになります。

 

ドラマ同様、家子は資産家の娘でした。

 

また女学校卒業後はすぐに結婚したようで、もしかしたら女学生時代に

親が決めた結婚相手がいたのかもしれません。

 

家子は子どもを身ごもりますが、その直後に悲劇に襲われます。

 

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家子が結婚してから半年後に夫が出征し(恐らく日中戦争)、

再び還ることはなかったのです。

 

家子の結婚生活はわずか半年間で幕を閉じ、しかも若くして子どもを抱える

戦争未亡人となってしまいました。

 

前記のように家子の実家は資産家でしたから子どもを抱えて路頭に迷うことは

なかったようですが、家子の気持ちを察するといたたまれないですね。

 

そんな家子に手を差し伸べたのが、大橋鎭子です。

 

鎭子は昭和21年(1946年)に衣装研究所という出版社を立ち上げて、

雑誌「スタイルブック」を刊行しヒットさせます。

 

しかしすぐに同じような雑誌が次々に刊行されてしまい、

「スタイルブック」は思うように売れなくなってしまいました。

 

そこで鎭子やそのパートナーの編集者・花森安治が企画したのが、

生活総合誌「美しい暮らしの手帖」(現「暮らしの手帖」)です。

 

同誌は昭和22年に刊行されますが、その際に鎭子は家子を誘って、

家子も同誌の創刊のメンバーとなります。

 

「美しい暮らしの手帖」の創刊号のトップは「可愛い小物入れ」と題した

壁掛け式の小物入れでしたが、こちらは鎭子がアイデアを考えて、

家子が縫ったものです。

 

家子は裁縫が得意だったことから、同誌で取り上げた衣装や小物などを

数多く製作したようです。

 

そして鎭子も家子も、80歳を超えてもなお「暮らしの手帖」の製作に

関わりました。

 

大橋鎭子の人生は「暮らしの手帖」に捧げたと言っても言い過ぎではありませんが、

この家子も同様だったのです。

 

まさに鎭子と家子は生涯の友だったのです。

 

史実の流れはこのような感じなので、ドラマでも中田綾は常子の出版社を

生涯にわたり支えていく重要な存在になると思います。

 

常子と綾の出会いは決して穏便なものではありませんでしたが、

今後はふたりは友情を育み、唯一無二の親友となっていくことでしょう。

 

またモデルの中野家子のように、綾も悲劇に襲われると思いますが、

それを乗り越える姿にも期待したいですね!

 

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