とと姉ちゃん|結核の竹蔵は即隔離や入院しない?驚きの当時の治療法

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、常子の父の小橋竹蔵(西島秀俊)が

ついに結核になってしまいます。

 

当初は自宅療養に務めていた竹蔵ですが、その後は病状が悪化したようで、

自宅でも隔離状態になってしまいました。

 

当時の結核は現在のような有効な治療法もなく致死率も高い病気で、

「死病」などと言われていましたから、小橋一家は絶望の淵に立たされることに

なってしまいました。

 

ところで自宅療養していた竹蔵ですが、娘たちとカルタをしたり、

あるいは美子を膝の上に置いたりしていましたよね?

 

視聴者の方々も、「うつったらどうするの?」と思った方も少なくないと思いました。

 

ところがこのような描写には、当時の結核の治療法が色濃く反映されていたのです!

 

赤十字

 

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結核の竹蔵は即隔離や入院しない? 驚きの当時の治療法

 

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まず結核予防法が制定され、本人の意思に関わらず強制入院・隔離

が可能になったのは戦後の昭和26年(1951年)です。

 

ドラマの舞台は昭和5年(1930年)ですから、当時はたとえ結核と診断されても、

入院や隔離をして治療するか否かは本人の意思に委ねられていました。

 

また、当時は結核か否かの判定法も現在よりも精度が劣っていました。

 

特に結核の初期は微熱が続いたりと、カゼの症状と似ていることから、

カゼか結核かよくわからないので、とりあえず自宅待機で経過観察

といったこともよくあったようです。

 

さらには「結核=隔離」のイメージですが、現代でも自宅療養で済まされる

ケースがあります。

 

結核は飛沫感染ですから、結核と判定されても排菌していなければ他人にうつる

可能性はないので、隔離や強制入院する必要はありません。

 

そのため痰などを採取して排菌が認められず、なおかつ将来的に感染性の結核になる

可能性が低ければ、現代でも隔離されない場合があるのです。

 

このような状況に鑑みると、劇中で娘たちと接していた段階の竹蔵の結核は、

経過観察中だったか、排菌していない状態だったと推測できます。

 

他の映画やドラマでもこのようなシーンを見て「?」と思った方はいるかと

思われますが、ちゃんと理由はあったのです。

 

当時の安静治療は有効だったのか? 驚きの事実!

 

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結核の特効薬のストレプトマイシンなどの抗生物質が登場するのは、

昭和20年(1945年)ごろです。

 

そのためドラマの舞台となっている昭和初期には結核に対して有効な治療はなく、

ひたすら自宅や療養所で安静にする安静治療しかありませんでした。

 

しかしこの安静治療は、まったく根拠や効果がないものではありませんでした。

 

結核菌はその増殖のために酵素が必要なことから、安静にしていて

肺の活動を低下させれば、酵素の補給も低下して、

結核菌の増殖が抑制されることになります。

 

その結果、この安静療法で結核が回復してしまう人も少なくありませんでした。

 

当時はこの安静療法がなぜ結核に有効なのかというメカニズムは判明していません

でしたが、経験則に基づく治療法としておこなわれていたのです。

 

※他に治療手段がなかったこともありますが

 

とは言え、安静療法は現在の抗結核剤による治療よりも遥かに有効性が劣った

のも確かです。

 

そして安静療法をおこなっていても、肺に新たな「空洞」が出現してしまうと、

そこから大量の酵素が補給されてしまい、爆発的に結核菌も増殖することから、

まさにこれは「死刑宣告」のようでした。

 

この状態になってしまうと当時としてはお手上げの状態で、排菌もしていますから、

ほぼ隔離されてしまいます。

 

竹蔵の病状が悪化して自宅でも隔離状態となってしまいましたが、

この段階に進んでしまったと思われます。

 

こうなってしまうと、当時の治療法では助かることはまずなく、

死を免れない状態となってしまいます。

 

もはや長くはない竹蔵ですが、残されたわずかな時間で常子や家族に

何を残すのでしょうか…

 

とてもかわいそうですが、竹蔵の最期の時を見守っていきたいと思います。

 

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