とと姉ちゃん|小橋常子のモデルの大橋鎭子の少女時代はどうだった?

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、しばらくの間はヒロインの

小橋常子(内田未来)の少女時代が描かれます。

 

常子は登場早々に染色会社の高い物干し台に登って叱られるなど、

なかなかのやんちゃぶりを見せていますね~

 

ひとつ下の妹の鞠子がやや慎重な性格のようですが、

常子には対照的な奔放さも感じられます。

 

この小橋常子のモデルとなったのは、暮らしの手帖社の社長を務めた

大橋鎭子です。

 

ドラマの常子同様、激動の昭和を生き抜き、戦後の庶民の暮らしの復興に

一役買った鎭子の少女時代はどのようなものだったのでしょうか?

 

小橋常子のモデルの大橋鎭子の少女時代はどうだった?

 

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まず別の記事でも書きましたが、小橋常子のモデルの大橋鎭子はドラマの舞台

となっている静岡県浜松市とは無関係で、少女時代は北海道東京

過ごしています。

 

父親の大橋武雄が結核を患い、その療養をするために大正15年(1926年)に

6歳で東京へ移住しますが、それまでは北海道で過ごしています

(なお、鎭子の生まれは東京・深川)。

 

北海道時代の鎭子はガキ大将だったと、ご本人が申しています。

 

また父親が製布工場に勤務していたため、工場の周辺は一面の亜麻(アマ)畑

だったそうです。

 

亜麻

(亜麻)

 

鎭子も北海道時代の思いでとしてこの亜麻の原っぱで遊んだことを述べており、

タンポポやイタドリ(タデ科の多年生植物)をとって食べたり、

川でザリガニをとって食べたそうです。

 

さらには虻田に在住していた時には、家族で洞爺湖へ出かけた思いでなども

あるようです。

 

ドラマで小橋一家が紅葉狩りに出かけますが、このような大橋家の家族の思い出が

下敷きになっているようです。

 

どうやら北海道時代の鎭子は、自由奔放な少女時代を送ったようですね~

おおらかな性格で知られた鎭子ですが、北の大地が育んだようです♪

 

しかし、東京へ移ってからはその生活も一変してしまいます。

 

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大橋家が東京へ戻ったのも、父親の武雄の結核の療養のためです。

 

その頃は病気の武雄中心の生活になったようで、鎭子も北海道時代のように

自由奔放さはなくなったようです。

 

また北海道に比べて、東京では学校の勉強もかなり進んでいたようで、

遅れを取り戻すのにも苦労したようです。

 

さらには北海道弁がなかなか抜けずに笑われるなどしたため、

当時の鎭子は学校へ通うのが嫌でしょうがなかったと言っています。

 

戦前のこととはいえ、北海道の田舎と東京のギャップは相当なものだったのでしょう。

 

その後、一家は父の療養先が変わったことに伴って鎌倉に移住しますが、

鎭子は鎌倉や転校先の小学校を、東京よりものんびりとしていて気に入りました。

 

さらに一家はその後、東京の下大井に移転しますが、その頃には鎭子も

首都圏での生活に慣れて小学校にもしっかり通ったようです。

 

まとめ

 

どうやら常子のモデルの大橋鎭子も、けっこうやんちゃで自由奔放な少女時代を

送ったようです。

 

ここで詳述はしませんが、鎭子は明るく前向きな性格に加えて、

優しさや思いやりを兼ね備えた素晴らしい女性です。

 

鎭子がそのように育ったのは、父親や母親の愛情はもちろんのこと、

北海道のおおらかな風土も影響したのでしょう。

 

ドラマの舞台は北海道ではなく静岡県の浜松ですが、ヒロインの常子が大人の女性へと

成長していく姿もしっかりと描かれるようですので楽しみですね!

 

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