とと姉ちゃん|小橋常子のモデル大橋鎭子は舞台ロケ地の浜松と無関係

 

新朝ドラ『とと姉ちゃん』は、高畑充希演じるヒロイン小橋常子

その姉妹たちの奮闘記です。

 

舞台は昭和5年(1930年)の静岡県・浜松市。

 

染工会社に勤める家族思いの父と優しい母のもと、何不自由なく暮らす

小橋家の三姉妹でしたが、父の竹蔵が突然結核で倒れたことから、

一家にも暗い影が忍び寄ることになります。

 

そしてヒロイン常子のモデルとなったのは、暮らしの手帖の社主として知られる

大橋鎭子です。

 

しかし、実はこの大橋鎭子はドラマの舞台でロケ地でもある浜松市とは無関係

だったのです!

 

昭和初期 浜松1

(昭和6年頃の浜松駅前)

 

コンテンツ

小橋常子のモデル大橋鎭子は舞台ロケ地の浜松と無関係

 

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高畑充希さん演じる小橋常子のモデルの大橋鎭子ですが、大正9年(1920年)生まれで、

このあたりはドラマと同じです。

 

ところがドラマの常子は生まれも育ちも静岡県浜松市という設定ですが、

実は鎭子は浜松市とは無関係です。

 

大橋鎭子が生まれたのは東京の深川です。

 

しかし1歳の時に父親の武雄の転勤で、北海道へと移り住んでいます。

 

北海道内でも転勤によって転々としており、最初は小沢(こざわ。現岩内郡共和町小沢)

に住んでいましたが、翌年には萱野(現三笠市萱野)に移転します。

 

さらに5歳になった大正14年(1925年)には、虻田(現虻田郡虻田町)に転居します。

 

こうして武雄の仕事の都合で道内を転々とした大橋一家ですが、

大正15年(1926年)に武雄が肺結核を患って会社を退職後は、

東京に戻ってきます。

 

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当初は牛込(現新宿区)で療養していた武雄ですが、鎌倉の病院に入院することになって、

一家は鎌倉に移住します。

 

そして昭和3年(1928年)には、下大井(現品川区)に移転し、その2年後に武雄は

この地で永眠することになります。

 

ドラマは昭和5年の小橋一家が描かれることからスタートしますが、

常子のモデルの鎭子は当時は東京の下大井に住んでいました。

 

またそれ以前、そしてその後も鎭子や大橋家の一家は静岡県の浜松市に

在住することはありませんでした。

 

このように今回の朝ドラ『とと姉ちゃん』では、モチーフとなった人物とは

無関係の浜松市が舞台となっています(後に東京・深川となる)。

 

このあたりは最近のあまちゃん(三陸地方)、まれ(北陸地方)などの地方密着型の

朝ドラの流れを汲んでのように思えます。

 

さらにはドラマでは高畑充希さん演じる常子の「どうしたもんじゃろうのう~」が

お馴染のセリフになりそうですが、

 

実はモデルの大橋鎭子はそのような遠州地方の方言を喋らなかったばかりか、

東京に移住してからも北海道弁が抜けずに苦労したとも言っています。

 

なのでリアルの鎭子は「どうしたもんだべか?」(北海道弁)だったのでしょうね~

 

このように舞台の変更はあるようですが、当時の浜松の街並みなどが

詳細に再現されるようですね。

 

特に当時の浜松は染物業が盛んであったことから、業務用の巨大な物干し台に吊るされる

染物など、見どころも多いようです。

 

まぁ~舞台は史実と違えど、ドラマはドラマで楽しめると思いますので、

期待しましょう!!

 

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