まんぷく|第八軍刑務所のモデルは巣鴨プリズン!萬平の収監先
朝ドラ『まんぷく』では、萬平は再び進駐軍のMPに逮捕されることになります。
前回の逮捕はたちばな塩業の従業員である「塩軍団」が手榴弾で魚獲りをしていたことがきっかけで「反乱罪」の容疑の逮捕で、最終的には無実となって釈放されています。
ところが今回の逮捕は社員5人に渡していた奨学金が、「給与」とみなされての所得税法違反でのものです。
しかも萬平は翌日に起訴され軍事裁判にかけられて、判決は有罪となって罰金7万円と重労働4年の刑が言い渡されてしまいます。
そのため即日、第八軍刑務所送りとなってしまいます。
この第八軍刑務所のモデルとなっているのは、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた第二次世界大戦のA級戦犯たちが処刑された巣鴨プリズンです。
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第八軍刑務所のモデルは巣鴨プリズン!萬平の収監先
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巣鴨プリズンは別名東京拘置所とも巣鴨拘置所とも呼ばれる犯罪人の収容施設で、戦後は進駐軍(GHQ)に接収されて主に戦争犯罪容疑者が多数収監されたことで知られています。
またこの拘置所は処刑場も設置されており、東条英機らA級戦犯7名と52名のBC級戦犯が処刑されています。
他の記事でもご紹介しましたが、萬平のモデルとなっている安藤百福は経営していた泉大津の塩田の従業員たちに渡していた小遣いが給与とみなされて1948年(昭和23年)12月25日に所得税法違反の容疑でMPに逮捕されています。
そして大阪のGHQ軍政部で裁判がおこなわれたのですが、たった1週間で重労働4年の実刑が言い渡されています。
同時に泉大津の塩田施設や大阪市内に所有していた不動産なども没収されてしまいます。
そのため残された妻の仁子や仁子の母親の須磨らも泉大津を出て、池田市の借家住まいを余儀なくされています。
しかし百福の塩田事業は採算性がまったくなく、多分に失業中の若者たちに職を与えるという社会奉仕の側面を有してものでした。
当時の日本は敗戦によって経済的に疲弊しており、GHQも税収を上げるために日本政府の尻を叩いていたころです。
昭和21年(1941年)に深刻な税収不足を補うために財産税法が施行されて多くの資産家からその財産を徴収していますが(「べっぴんさん」のすみれの実家の坂東家も多くの財産を徴収された)、百福は台湾籍であったことからこれを免れています。
しかし終戦直後から大阪市内の不動産を底値で買って大きな利益を挙げ、資産家として目立っていた百福は次なるターゲットとされたようです。
百福の脱税容疑での逮捕は新聞で大々的に報じられており、まさに政府の強税キャンペーンの「見せしめ」に利用された感もあります。
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もちろん百福も猛抗議をしていますが、その言い分はまったく聞いてもらえず、巣鴨プリズン送りとなっています。
また百福は後の総理大臣になる佐藤栄作や田中龍夫などの政治家の知り合いもいましたが、相手がGHQだったことから彼らも何もできませんでした。
ちなみに百福が収監された日の2日前にはA級戦犯の東条英機や板垣征四郎、広田弘毅、松井石根、木村兵太郎、土肥原賢二、武藤章の7名の死刑が執行されています。
また百福が収監された翌月の1949年1月には長女の明美が誕生しており、彼はその誕生を獄中で知らされています。
なぜ百福が主に戦犯が収容されていた巣鴨プリズンに収監されたのは不明ですが、実際に判決にあった「重労働」は一切させられていません。
また収監中は戦争犯罪やレッドパージで逮捕された軍人や政治家、学者などがいましたが、食事はすべて平等で管理する米兵と同じものでした。
当時は食糧難でしたから巣鴨プリズンでの食事は一般国民よりも遥かに恵まれたもので、これに関しては「さすがアメリカは自由の国」と感心したエピソードが残されています。
そして収監中に全国各地で政府へ対する反税運動が起きたこともあって、税務当局は百福が起こした処分取り消しの訴訟の取り下げと引き換えに、無罪放免を持ち掛けます。
それに応じて百福が無罪釈放されたのは昭和25年(1950年)の12月でした(2年間巣鴨プリズンに収監されていた)。
ちなみにドラマでは萬平は反乱罪の容疑と脱税容疑で2度MPに逮捕されることになりますが、反乱罪のほうはドラマオリジナルのストーリーです。
モデルの安藤百福は脱税容疑で巣鴨プリズン送りとなった件のみでの逮捕でした。
また巣鴨プリズンは昭和33年(1958年)に閉鎖され、昭和46年(1971年)には跡地がサンシャインシティと東池袋中央公園になっています。
いずれにしても萬平は脱税容疑でMPに逮捕され、東京第八軍刑務所に送られますが、その際のリアクションなどにも期待です。
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