まんぷく|立花栄養食品研究室のモデルは国民栄養科学研究所

 

朝ドラ『まんぷく』では萬平はたちばな塩業を経営する傍らで、立花栄養食品研究室を立ち上げて、栄養食品の開発に取り組むことになります。

 

戦後の食糧難で大阪の街にも栄養失調の人々が溢れかえっていますから、これを何とかするために萬平は立ち上がることになります。

 

そのためたちばな塩業の倉庫の半分を仕切って、立花栄養食品研究室を創設します。

 

そしてこの研究室では相談役の近江谷教授のアドバイスもあって、牛の骨髄から抽出した「ダネイホン」という栄養食品の開発に成功します。

 

この商品は後に大ヒットすることになるのですが、立花栄養食品研究室のモデルとなっているのが、リアルの安藤百福が立ち上げた国民栄養科学研究所です。

 

 

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立花栄養食品研究室のモデルは国民栄養科学研究所

 

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萬平のモデルとなっている日清食品の創業者の安藤百福は、昭和21年(1946年)に大阪の泉大津で塩田事業をおこないます。

 

他の記事でもご紹介しましたが、この塩田事業はもっぱら失業中の若者支援のための事業で、さほどの利益は上がっていません。

 

そしてそれと並行して百福は昭和23年(1948年)に、魚介類の加工や販売をする「中交総社」という会社を立ち上げています。

 

この会社は翌年には「サンシー殖産」に名前が変わりますが、10年後の昭和33年(1958年)に日清食品となるのです。

 

まさに百福の食品加工の第一歩となるのですが、「中交総社」の立ち上げとともに設立したのがドラマの立花栄養食品研究室のモデルとなっている国民栄養科学研究所です。

 

泉大津の塩田の敷地内に作られたこの研究所で百福が最初におこなったのは、病人食の開発です。

 

当時は健康な人でも栄養失調になるくらいでしたから、入院中の患者などは深刻そのもので、病気ではなく栄養失調で命を落とす人々が多くいました。

 

それを何とかするために、彼は病人向けの栄養食品の開発に着手したのです。

 

大阪市立衛生研究所の茶珍俊夫博士(ドラマの近江谷教授のモデル)や大阪大学の栄養学の専門科に協力を仰いで、栄養食品の開発に没頭しました。

 

当初は食用ガエルから栄養素を抽出しようとしますが失敗。

 

その後に安価な上に、たんぱく質のほかビタミンなどの栄養分も抽出できる牛や豚の骨に注目することになります。

 

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そして研究所では骨髄からたんぱく質などの栄養分を抽出することに成功し、「ビセイクル」という栄養食品を開発することになります。

 

この商品はドラマの「ダネイホン」のモデルとなった商品で、ペースト状になっておりパンに塗って摂取するものでした。

 

「ビセイクル」はその品質が厚生省にも評価されて、病院などに提供するほどになりました。

 

しかし味に難があったようで、生産量もごくわずかで大きな売上にはなりませんでした。

 

ドラマでは立花栄養食品研究室が開発した栄養食品は「萬平印のダネイホン」として大々的に売り出されて大きな利益を生み出すことになりますが、モデルの「ビセイクル」はさほどの売上にはならなかったようです。

 

とは言え、百福にとってはこれが食品加工の第一歩となる記念的な商品で、後のチキンラーメンへとつながっていくことになります。

 

彼にとってはじめて開発した商品ですし、実際に流通もしたことから、大きな自身となったはずです。

 

しかし昭和23年(1948年)の12月に、百福は脱税容疑でMPに逮捕されて重労働4年の刑を宣告されて巣鴨プリズンに収監されることになります。

 

その際に泉大津の塩田施設や関連施設はすべて没収されており、国民栄養科学研究所もあっけない幕切れを迎えることになります。

 

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