まんぷく|萬平の判子・ハンコは実話なの?安藤百福の終戦直後は?

 

朝ドラ『まんぷく』では、戦争が終わり終戦直後の混乱期が描かれることになります。

 

当時は配給制は既に機能せず、深刻な食糧不足もあって人々は食糧や日用品などを求めて闇市に殺到することになります。

 

細々とおこなわれていた配給も身分を証明するものがないことから混乱を極めますが、それを見ていた萬平は判子(ハンコ)屋をはじめます。

 

当時は萬平や福子の一家は福子の姉の克子の香田家に身を寄せていました、香田家の子供たちとともに判子づくりをはじめます。

 

萬平が作る判子は印影の美しさもあって評判となり注文が殺到。

 

最初の1週間で小学校の教員の初任給ほどの売上を記録して、経済的に窮乏しかけていた萬平夫婦や香田家の面々を救うことになります。

 

まさにアイデア商法といった萬平の判子屋ですが、これらのエピソードは実話なのでしょうか?

 

またリアルの安藤百福は終戦直後に何をやっていたのでしょうか?

 

 

萬平の判子・ハンコ屋は実話なの?安藤百福の終戦直後は?

 

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まず萬平がはじめる判子屋ですが、安藤百福についての複数の資料を調べましたがそのような事実はなく、ドラマオリジナルのエピソードです。

 

なぜこのようなエピソードが設けられたかと言えば、萬平のモデルとなっている百福は終戦直後はお金に困っていなかったからです。

 

大阪大空襲の影響で百福の会社事務所や自宅、軍用機のエンジン部品の製造工場などはすべて焼け落ちてしまいました。

 

しかし戦前からメリヤスで財を成した百福には、当時からの貯えも十分にありました。

 

また焼け落ちた事務所や工場につきましては火災保険を掛けていたため、保険金も入っています。

 

さらに当時の百福は既に経済界の要人の間にも食い込んでおり、戦前は「鉱山王」と呼ばれ日立製作所や日産自動車のルーツとなる久原財閥の総帥として君臨した久原房之助からは、「こういう混乱期には不動産を買っておくべき」との助言を受けています。

 

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当時は経済的な窮乏から土地を手放す人が多く、二束三文の値で購入できた時代でした。

 

そのため百福は昭和21年(1946年)から土地を購入しはじめて、心斎橋の店舗やそごう百貨店の北側にあった店舗などトータルで3軒の店舗と梅田新道や大阪駅前の土地などを購入しています。

 

心斎橋の店舗に関しましてはわずか5000円で取得しています。

 

終戦直後の100円は現在の貨幣価値に換算して15,000円くらいとの見解に従うと、およそ75万円程度で入手していることから、破格の安さであったことは間違いないでしょう。

 

百福はかねてから「世の中の役に立ちたい」と思う人物でしたから、このような不動産の「買い漁り」で利益を挙げることは、多少なりとも割り切れない思いもあったようです。

 

しかし当時は先の見えない混乱期でもあったので、このようなビジネスにも手を出したようです。

 

とは言え百福がモデルであるドラマの萬平には元手となる資産らしいものはありませんし、戦後の混乱期に乗じて財を成すというのも朝ドラの主人公のやることにはふさわしくはないでしょう。

 

そのため制作サイドは「判子屋」というビジネスをひねり出して、萬平らが取り組むことになるようです。

 

いずれにしてもこの判子屋で得た利益を元に、萬平は実話に基づく塩田事業に向かうことになります。

 

萬平一家や香田家の面々の判子屋での奮闘を期待しましょう!

 

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