まんぷく|立花幸のモデルは堀之内明美!福子の子供・長女

 

朝ドラ『まんぷく』では、福子は長男の源に引き続き長女の(さち)を出産することになります。

 

ちょうどその頃は萬平は脱税容疑で東京第八軍刑務所に収監されており、大恩人だった大阪商工会の会長の三田村亮蔵も亡くなった頃です。

 

収監されながらも萬平は子供の名前を考えており、女の子だったら幸せになってほしいという願いを込めて「幸」という名前を用意していました。

 

また福子の福と合わせて「幸福」という意味もありました。

 

そんな中、福子は無事に長女を出産したことから、その子はそのまま立花幸と命名されることになります。

 

この幸のモデルは安藤百福と仁子の長女の堀之内(安藤)明美です。

 

(左から仁子、宏基、須磨、明美、百福)

 

立花幸のモデルは堀之内明美!福子の子供・長女

 

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安藤百福と仁子の長女・明美は昭和24年(1949年)126日に生を受けています。

 

当時の百福は脱税の罪によってGHQ軍政部より重労働4年の判決を言い渡されて、巣鴨プリズンに収監されていた頃です。

 

他の記事でもご紹介しましたが百福の脱税罪につきましては、「見せしめ」の側面が多分にあって、当時の国民の反税運動などもあったことから、税務当局も彼に取引を持ち掛けます。

 

彼は潔白を証明するために税務当局を相手に処分取り消しの訴訟を提起していましたが、それの取り下げを条件に釈放するという内容でした。

 

しかし百福は正義を貫きたいという強い意思を持っていたため、そのような取引に応じませんでした。

 

既に収監されて2年が経過していましたが、ある日仁子は次男の宏基と1歳になったばかりの明美を面会に連れていき、ふたりの子供の姿を見た百福は「ここが潮時」と考えて、訴えを取り下げて釈放されたエピソードが残されています。

 

ちょっと話が逸れてしまいましたが、明美や宏基の面倒を見たのは祖母の須磨(鈴のモデル)で、ふたりはおばあちゃん子だったようです。

 

そして明美が小学校3年生の時に百福はチキンラーメンの開発に成功していますが、当時は一家総出で生産しており、明美は宏基が袋詰めした麺を足踏み式シーラーで閉じる役割を果たしていました。

 

その際にはシーラー機の電熱部分に触れてしまい、しょっちゅう火傷を負っていたとのことです。

 

仁子は非常に教育熱心だったことから、明美も兄の宏基と同じく、キリスト教系の幼稚園から進学校の大阪学芸大学附属池田小学校(現在は大阪教育大学附属)に通学させています。

 

中学も系列の大阪学芸大学附属池田中学校に進学して、高校は現在も府内でも有数の進学校として知られる北野高校を受験するつもりでしたが、仁子のミスによって受験できませんでした。

 

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仁子はこともあろうに願書を北野高校ではなく、私立の甲南女子高校に送ってしまったことから、最終的には明美もこの高校に進学しています。

 

ちなみに同校は神戸市にある「お嬢様学校」で、都知事の小池百合子さんらもOGです。

 

明美はそこから系列の甲南女子大学に進学して、卒業しています。

 

仁子は自身と母親の須磨の結婚相手がともに「再婚者」だったことと、かなりの苦労を重ねたことから、明美には初婚の男性とお見合いさせています。

 

そして堀之内徹という宏基の知り合いの男性とお見合いをすることになりますが、当日は百福の仕事の都合で見合いの席は羽田空港となっています。

 

堀之内は長身で礼儀正しい好青年であったことから、明美のみならず仁子や百福も気に入って、すぐに交際に発展しています。

 

当時彼は会社を経営しており仕事の都合などで、ふたりが結婚したのは5年後の昭和51年(1976年)6月です。

 

堀之内が経営していたのは「日本アレフ」というスイッチやセンサーを製造する会社で、現在も会社は健在です。

 

そして平成2年(1990年)には彼は日清食品の監査役に就任して、現在に至ります。

 

ドラマの幸のモデルの堀之内明美についてまとめてみましたが、チキンラーメンの生産のエピソードなどはドラマでも登場しそうですね♪

 

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