まんぷく|萬平とモデルの安藤百福の若き日がぜんぜん違う!

 

朝ドラ『まんぷく』では、萬平が福子に交際を申し込んでふたりの付き合いが始まりました。

 

そしてその際に彼の出自が明らかにされて、ひとりっ子であったことや幼い時に両親を亡くし親戚の家を転々として育ったことが判明。

 

そして18歳の時に修理店で働きはじめ、25歳で独立して大阪にやって来て、アメリカ製のミシンや幻灯機の改良を開始。

 

しかし営業が苦手なことから、加地谷と会社を共同経営していることを福子に明かしました。

 

現時点で萬平の正確な年齢はドラマで示されていませんが、モデルとなっている安藤百福・仁子(まさこ)夫妻は7歳差(百福が上)です。

 

ドラマの福子が萬平と交際を開始するのが21歳の頃ですから、萬平は28歳あたりかと推測できます。

 

そしていささか不幸な生い立ちの萬平ですが、モデルの百福の若き日はどのようなものだったのでしょうか?

 

 

萬平とモデルの安藤百福の若き日がぜんぜん違う!

 

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萬平のモデルの安藤百福が生まれたのは明治43年(1910年)35日です。

 

当時は台湾が日本に併合されて15年の歳月が経っており、台南県東石郡朴子街という小さな町に生まれ育っています。

 

当時の名前である呉百福は、この子は将来何か大きなことをやるかもしれないと感じた両親が、できれば世の中に幸せをいっぱいもたらす人間になってほしいとの理由で名付けられました。

 

兄弟は兄が2人、妹が1人の4人きょうだいの3番目でした。

 

父親は相当な資産家でしたが、幼い時に両親を亡くして、祖父母のもとで育てられています。

 

そのため百福は両親の面影をほとんど覚えていません。

 

祖父母の家業は呉服屋で子供のしつけに厳しかったことから、物心ついた時から百福は掃除や洗濯、炊事、雑用と多くのことを言いつけられて育っています。

 

店は非常に繁盛していたことから、彼も「商売」に強い興味を示しています。

 

また百福は数字にも高い関心を示しており、幼少期から足し算や引き算、掛け算ができました。

 

しかし祖父母はあまり学問をさほど重んじない人物だったようで、裕福だったにも関わらず、百福の学歴は高等小学校卒です(尋常小学校6年+高等小学校2年)。

 

高等小学校を卒業すると家業を手伝ったほか、当時の東石郡守(知事)の森永という人物の勧めで街ではじめてできた図書館の司書を務めています。

 

図書館の仕事は主に図書の貸し出しや受取り、書籍の整理などで百福の性には合いませんでしたが、世界文学集やシェークスピア、孔子の論語や美濃部達吉の天皇機関説など様々な書籍を読破しています。

 

司書時代の昭和3年(1928年)に呉黄梅という女性と結婚して、長男の宏寿も誕生しています。

 

また他の記事でもご紹介しましたが、時期は不明ですが台湾時代に呉金鶯という女性を第2夫人(妾)に迎えており、彼女との間にも二男一女が生まれています(後に離婚)

 

【呉金鶯(一番左)、呉百福(左二番目)と子供たち】

 

2年で司書を辞めて、その後の22歳だった昭和7年(1932年)に独立を決意。

 

商売をやるなら「誰もやっていない新しいことをやろう」と思い、当時普及しつつあったメリヤスに着目します。

 

そして台北市に「東洋莫大小(メリヤス)」という会社を設立しますが、資金は祖父母が管理していた父親の遺産を充てています。

 

この会社の営業内容は日本からメリヤスを仕入れて台湾で販売することですが、最初からこのビジネスは大当たりします。

 

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日本から仕入れたメリヤスは瞬く間に売れていったことから、さらにビジネスを拡大するために昭和8年(1933年)に来日。

 

大阪の船場に「日東商会」という貿易会社を設立して、より多くのメリヤスを台湾に輸出するとともに、当時日本一のメリヤスメーカーの「丸松」と提携して事業規模も拡大していきます。

 

事業が軌道に乗ると24歳で立命館大学専門学部経済科(夜間部)にも入学するなど、高い向学心を見せています。

 

また蚕糸事業なども手掛けてかなりの財産を築いています。

 

しかし昭和16年(1941年)12月に太平洋戦争が勃発すると、メリヤスも国の統制下に置かれたため輸出ができなくなり、これまでおこなってきた事業のほとんどは休止してしまいます。

 

それでも戦時中は幻灯機の製造や軍用機のエンジン部品の製造、バラック用の住宅の製造や炭焼き業などを手掛けています。

 

軍用機のエンジン部品の製造では共同経営者に裏切られ、物資の横流し容疑で憲兵隊に拘束されて、過酷な拷問を受けていますが、知り合いだった井上安正元陸軍中将に救出されています。

 

また井上の紹介で昭和19年(1944年)に都ホテルのフロント係を務めていた安藤仁子を紹介されると、百福は彼女に一目惚れします。

 

そして太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)321日に仁子と結婚。

 

当時は百福は35歳で、仁子は28歳でした。

 

ドラマの萬平のモデルの安藤百福の若き日をまとめてみましたが、ずいぶん萬平とは異なることがわかりますよね?

 

萬平は技術者で発明家という設定ですが、百福はあくまでも実業家です。

 

また萬平はさほど経済的に恵まれているようではありませんが、当時の百福はかなりリッチで大阪の実業界でもちょっとした「顔」でした。

 

とは言えあくまでもドラマですから、萬平の造形もモデルとは大きく変更したのでしょう。

 

ドラマの萬平の活躍にも大いに期待ですね♪

 

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