まんぷく|萬平の幻灯機屋は実話なの?安藤百福はどうだった?
朝ドラ『まんぷく』では、ヒロイン福子(安藤サクラ)の夫となる立花萬平(長谷川博己)は「たちばな工房」という小さな会社を経営し、主に幻灯機の制作や販売を手掛けています。
後に福子の姉の咲が結婚しますが、結婚式の出し物として萬平が幻灯機を映写することになり、これがふたりの初めての出会いとなります(電話で話したことはある)
このように幻灯機屋といった感もある萬平ですが、このあたりは実話なのでしょうか?
モデルの安藤百福はどうだったのでしょうか?
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萬平の幻灯機屋は実話なの?安藤百福はどうだった?
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まず幻灯機ですが、いわゆるスライド映写機の原型です。
日本には江戸時代の嘉永年間(1848年から1855年)にオランダから持ち込まれて、明治時代に一般的に普及して、明治20年頃には「幻灯機ブーム」を巻き起こしています。
また戦前の学校などでも視聴覚教材として広く用いられていました。
そして萬平のモデルとなっている安藤百福も、幻灯機の製造を手掛けていました。
百福は台湾時代に日本からのメリヤス(平編みで編んだ生地や布地)の輸入で財を成して、23歳だった昭和8年(1933年)に来日。
大阪に日東商会という会社を設立して、より本格的なメリヤスの貿易に乗り出します。
これによって莫大な財産を手に入れることになるのですが、昭和16年(1941年)12月に太平洋戦争が勃発すると事態は急変します。
開戦後は生活必需品の生産や価格などはすべて国の管理下に置かれて、配給制も導入されました。
メリヤスもそれに含まれたことから、百福はメリヤスの貿易ができなくなってしまったのです。
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しかしそんな中でも彼は持ち前の好奇心を発揮して、戦争中も軍用機のエンジンの製造やバラック住宅の製造、炭づくりなど様々な事業を手掛けています。
そしてそのひとつに幻灯機の製造もありました。
どうやら百福が幻灯機のビジネスをしていたのは太平洋戦争の後期から末期にかけてのようです。
当時の軍需工場では工員たちが次々に召集されて、学徒動員など徴用で集められた素人の工員ばかりでした。
そのため重宝されたのが幻灯機で、旋盤やスライス盤などの図面をスライドにして、その操作の仕方をスクリーンに映して機械の使い方などを工員たちに教えていたのです。
百福は幻灯機についてはまったくの素人でしたが、独学で勉強して製品を完成させ、軍に卸すことにも成功しました。
ドラマの萬平の幻灯機のエピソードも、これらの史実をもとにしているようですね♪
ただし百福はあくまでも幻灯機の製造をしただけで、当時は他のビジネスも手掛けていたことから、ドラマの萬平のように「幻灯機屋」のような商売をしていたわけではありません。
とは言えこのあたりの違いはあれど、幻灯機を通じて萬平は仁子と出会いますから、けっこう大きな役割を果たすようですね~
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