まんぷく|福子の父親が死んだことになっている理由!モデルは長寿

 

朝ドラ『まんぷく』では、ヒロインの今井福子(安藤サクラ)は母親の鈴(松坂慶子)とふたりの姉(内田有紀、松下奈緒)の4人家族という設定。

 

父親は早くに亡くなっており、福子が女学生時代は長姉の咲(内田有紀)が貴金属店に勤務して今井家の家計を支えています。

 

周知の通り、福子のモデルは日清食品の創業者・安藤百福の妻の仁子(まさこ)です。

 

しかし仁子の父親の安藤重信は仁子が女学生時代はおろか、成人後も健在でした。

 

なぜ重信にあたる福子の父親はドラマでは死んだことになっているのでしょうか?

 

 

福子の父親が死んだことになっている理由!モデルは長寿

 

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リアルの安藤仁子の父親・安藤重信にあたる人物がドラマに登場しないのは、経歴がややこしいからだと考えます。

 

重信は福島県二本松市の二本松神社の神職の家の次男として生まれています。

 

この神社は二本松藩時代には総鎮守という位置づけで、地元では名家として知られています。

 

重信は早稲田大学を卒業したエリートで、次男だったこともあり、当初は宗像家に婿養子に出されています。

 

宗像家の詳細は不明ですが、当時は家柄の格が重視された時代ですから、こちらも相応の家系のように思われます。

 

ところが彼は任された事業をうまくおこなえず、さらには散財もあったことから、宗像家から離縁されてしまっています。

 

その後は再起を賭けて単身、大阪に出てきますが、ここでドラマの今井鈴のモデルの須磨と出会って結婚します。

 

ふたりは晃江(てるえ)、澪子、仁子の3人姉妹の子宝に恵まれます。

 

重信は人力車の会社を立ち上げますが、当初はこれがうまくいきます。

 

そのため3姉妹は何不自由ない裕福な暮らしをしていましたが、仁子が7歳くらいの頃から重信の会社の雲行きが怪しくなってしまいます。

 

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そのきっかけは重信が政治家を志し、貴族院議員の選挙に出馬するために男爵の爵位を手に入れようとしたことからです(貴族院議員は公爵や侯爵は無条件になれるが、男爵は当選が必要だった)。

 

当時は貴族の家柄ではなくとも勲功のある人物が例外的に男爵の爵位に叙されることがあり、重信はお金をつぎ込んで男爵の地位を手に入れようとしたのです。

 

このあたりはかなりの野心家だったようですが、結局は失敗して大きな散財に終わっています。

 

また当初は盛況だった人力車の会社も巡航船(大阪市内の川を行き交う船)や市電などの登場によって次第に業績が悪化していきました。

 

そのため安藤家も当初は高級住宅地の玉造に住んでおり(鴻池財閥の屋敷の隣に住んでいた)、家には2人の書生を雇うほど羽振りがいいものでしたが、徐々に経済的にひっ迫していきました。

 

仁子が7歳になった頃は、安藤家は大阪市阿倍野区の小さな長屋暮らしにまで追い込まれていました。

 

そのため仁子は安藤百福と結婚するまでは、金銭的にかなりの苦労を重ねています。

 

他の記事でもご紹介しましたが、何とか高等女学校に進学したものの3年生の時に学費が支払えなくなって1年間休学します。

 

以降は電話局に勤務して1年後にこれと掛け持ちして復学しましたが、高等女学校はトータルで6年かかって卒業しています。

 

このように安藤仁子は父親の「山っ気」の多さに足を引っ張られ、かなりの苦労をしています。

 

このあたりの重信の経歴のややこしさもあって、ドラマではヒロイン福子の父親は早くに亡くなっている設定にしたのではないかと推測します。

 

ちなみにドラマではお払い箱にされた重信ですが、仁子が25歳だった昭和17年(1942年)に72歳で亡くなっています。

 

当時としてはけっこうな長寿ですね~

 

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