まんぷく|チキンラーメンはこうして誕生した!世界初のインスタントラーメン

 

朝ドラ『まんぷく』では、ヒロインの福子(安藤サクラ)の夫である立花萬平(長谷川博己)は世界の食文化に革命を起こす大発明をします。

 

周知の通り、萬平のモデルとなっているのは日清食品の創業者・安藤百福ですから、その発明は世界初のインスタントラーメンである「チキンラーメン」がモデルとなっています。

 

そんな百福がチキンラーメンを発明した経緯をご紹介します。

 

 

チキンラーメンはこうして誕生した!世界初のインスタントラーメン~開発までの経緯と完成前夜まで

 

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まず前提として、インスタントラーメンを発明する頃の安藤百福は全財産を失っています

 

当時からやり手の実業家として知られていた彼は、戦前からメリヤスや幻灯機、軍用機用のエンジンなど様々な事業を手掛けて巨万の富を築きました。

 

ところが昭和26年(1951年)に理事長に就任した信用組合が昭和31年(1956年)の年末に乱脈経営の末に経営破綻し、その社会的な責任を果たすために私財をすべて投げ打ったのです。

 

百福にとっては単なる「名義貸し」で信用組合の経営にはほとんど関わっていなかったので、大きなツケを払わされることになりました。

 

無一文になった彼ですが事業への意欲は衰えず、すぐさまかねてからアイデアのあったインスタントラーメンの開発に取り掛かります。

 

百福はかつて厚生省のパン食を広げるキャンペーンについて意見を求められたことがあって、日本における小麦の消費を増やすためにはパンではなく、麺類を推奨することを勧めており、そのことがインスタントラーメンの開発の遠因にもなっています。

 

また終戦直後の闇市で人々がラーメンを美味しそうに食べる姿を見て、「食」への強い関心を抱いていました。

 

そういう経緯がありましたので、インスタントラーメンの開発に辿り着いたのです。

 

とは言え、資金もなかったことから、何もかも自分でおこなうしかありませんでした。

 

庭の離れに10平方メートルほどの小屋を作り、中古の製麺機を入手。

 

小麦粉や食用油も手に入れて、独自でインスタントラーメンの研究をはじめます。

 

当時の百福は朝5時に起床して小屋に入ると、夜中の12時までラーメンの試作を続けるという生活を丸1年間続けています。

 

そして麺にあらかじめ味を染みこませる「着味めん」の発想に辿り着きますが、そこからが困難の連続でした。

 

まず立ちはだかったのが麺の原料配合です。

 

現在でもラーメンや蕎麦の麺の原料配合はお店の売上を左右するほど重要なもの。

 

微妙な水や塩、小麦粉の配合が麺の質に大きく影響するのですが、百福は素人からのスタートですから、絶妙な配合バランスを見つけるまでかなりの試行錯誤を繰り返しています。

 

ようやく独自の原料配合を見つけた百福でしたが、次なる問題は麺の乾燥法です。

 

言うまでもなくインスタントラーメンは麺を乾燥することによって長期保存を可能にし、お湯を注ぐだけで食べることができる便利なものです。

 

しかしこの乾燥法が最後の難問で、色々と考えを巡らせましたがいいアイデアは思い浮かびませんでした。

 

ところがそんな百福に妻の仁子が大きな解決法を与えます。

 

百福は仁子が天ぷらを揚げる様子を見て、インスタントラーメンの乾燥法を思い立ちます。

 

水でといた小麦粉の衣を着た天ぷらは油の中に入ると「じゅー」という音とともに表面に無数の穴が開いて、小麦粉の水分を弾き出します。

 

とすれば麺を油に入れることで、麺に含まれる水分を弾き飛ばして乾燥させることも可能。

 

そして麺の表面には天ぷらと同じように無数の穴が開きますから、お湯を注いだ時に水分を吸収しやすくなります。

 

さらにはラーメンには油分が必要なところ、油で揚げれば麺に油分が含まれるので、調味油などを添付する必要もありません。

 

このように麺を油で揚げる乾燥法は、麺の乾燥だけではなく、同時に多くの課題を解決する大発見だったのです。

 

現在ではこの方法は「瞬間油熱乾燥法」として特許登録されており、ノンフライ以外のインスタントラーメンは避けては通れない技術となっています。

 

百福がこの乾燥法を発見したのは昭和33年(1958年)のことです。

 

チキンラーメンの誕生と販売まで

 

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画期的な乾燥法を発見した百福でしたが、それからは家族総出で製品作りにとりかかりました。

 

スープは鶏肉と鶏ガラに香辛料を加えて、高圧釜で3時間ほど炊き出しました。

 

それをせいろで蒸した麺のもとに振りかけて手でもみほぐして、すのこ棚に並べて陰干しします。

 

麺のもとの水分含有量が45%になったところで型枠に入れて麺にして、160℃の油の中につけていきます。

 

麺から水分が吹き飛んだタイミングを見計らって油から取り出すと、インスタントラーメンの出来上がり。

 

それを袋に詰めるのは当時は幼かった百福の長男と長女の仕事で、1400食ほどのインスタントラーメンが完成していきました。

 

また商品のネーミングはチキンの使用しているスープに由来して「チキンラーメン」と名付けられました。

 

当時のチキンラーメンはお湯を注いで2分で出来上がり、これを阪急百貨店の食品売り場で試食販売したところ、持参した500食は瞬く間に売れていきました。

 

(発売当時のチキンラーメン)

 

これに気をよくした百福は100万円を借金して、大阪市東淀川区に工場を建設してチキンラーメンを量産します。

 

ところがチキンラーメンは食品問屋にウケがよくありませんでした。

 

と言いますのも、うどん玉が6円で乾でも25円だった時代に、チキンラーメンは135円もしたからです。

 

さらには百福には手持ち資金がほとんどなかったことから、チキンラーメンの代金を手形ではなく現金決済を条件としたことから、このことも問屋に嫌われる一因となったようです。

 

販売にも苦労したチキンラーメンですが、商品を置いた小売店から問屋に注文が殺到すると、他の食品問屋も態度を一変させることになります。

 

インスタントラーメンの便利さに消費者はすぐに反応し、以降は津波のように百福の工場には注文が入りました。

 

まさに日本全国の消費者がこぞってチキンラーメンを購入しはじめたようで、作っても作っても注文に追いつかない状態だったとのこと。

 

そしてチキンラーメンの発売から4か月後に、百福は会社の商号を「サンシー殖産」から「日清食品」に改めました。

 

「日々清らかに豊かな味を作りたい」との百福の願いがこの社名には込められています。

 

長々となりましたが、現在も人気商品のチキンラーメンの誕生までをまとめてみました。

 

そして特筆すべきはチキンラーメンの誕生時には、百福は既に48歳になっていたということです。

 

この年齢でゼロからのスタートにも関わらず、彼は世界初のインスタントラーメンの開発という偉業をやってのけたのです。

 

百福はこのことに関して、「人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳でも新しい出発はある」と答えていますが、素晴らしい言葉ですね♪

 

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